「『自炊』代行2社にスキャン差し止め要求 東野圭吾さんら作家が提訴 - ITmedia ニュース」、この提訴以来、自炊代行についての意見を多く見ますが、特に以下の3点を論じているものが目に付きます。
- 著作権違反の有無。この「『自炊』の代行は私的複製に該当するか」という点は、重要な論点だと思います(そして該当しないとなれば、現行の著作権が実態にマッチしているかという議論に続いてくれるとよいと思います)。
- 裁断の是非。しかし私には感傷の押し付けのように感じられ、議論するところではないように思えます。
- 「自炊」代行によって「漫画家や作家が近い将来職業として成立しな」くなるか。それが差し止めを提訴する理由になるかも含めて微妙な点ですが、議論はされてもよいと思います。
気になるのは3点目の実際の議論。「自炊」代行についての誤解に基づいている意見が見られることです。例えば「アゴラ : 自炊代行提訴についての雑感 --- 玉井克哉」では次のように論を展開しています。
人気のある作家・漫画家の場合、多くの人が「代行」を依頼するでしょう。そうした場合、業者は[...]依頼者ごとに本を裁断し、スキャンし直してデータを取り直し、別々のデータをそれぞれの依頼者に送るのでしょうか。私には、とてもそんなことは想像できません。
いちどPDFにしてデータを取れば、二番目以降の依頼者には同じデータを送るのが一般的でしょう。[...]データを取らないのに裁断するなどということは、まったく無駄なことです。そんな馬鹿げた、無駄なことはしない、というのが、無理のない想定でしょう。
裁断用に送付された書籍が大量に積み上がることになります。その書籍は、どうなるのでしょうか。本来裁断用ですから、廃棄するのが妥当です。産業廃棄物として、業者に引き取らせることになるでしょう。
廃棄物処理業者はどうするでしょう。新品の本です。ベストセラー作家の最新著作です。[...]私が廃棄物処理業者なら、捨てたりはしませんね。古本屋に持っていって、売ることになるでしょう。
恣意的な引用になっていないか、引用元ページ(あるいはWeb魚拓)は確認してください。
この論では同じ書籍の自炊代行依頼があった時に、実際に送られてきた本を一冊ごとにスキャンして廃棄するということは「私には想像でき」ない、スキャンしないなら裁断しないというのが「無理のない想定」、裁断していない本は産業廃棄物として業者に「引き取らせることになるでしょう」、そして「私が廃棄物処理業者なら」「古本屋に持っていって、売ることになるでしょう」と玉井氏の想像で書かれています。
実際には、例えばこの業種のさきがけといえるBookscanは、サービス案内に次のように明記し、廃棄処分時の様子も公開しています。
1冊分あたり100円で書籍を裁断し、スキャナーで読み取り、データ化したのち 原本は再流通しないよう廃棄処分(溶解処理)しております。[...]もちろん1冊づつお客様の本を丁寧に裁断・スキャンしておりますので、本にメモが書き込まれている場合でもそのままデータとして残ります。
自炊の代行とは、字面どおりに解釈すれば「自炊したのと同じ状態にする」のであり、当たり前のモラルを持った業者はそのようにサービスを定めています。そしてそのサービスを受注したからには、そのようにサービスをするのです。他方で、利用者もまずその前に読者なので、自分が愛着を持っていて最後に「自炊」に出す本でおかしなことをされるのは嫌だと思っていて、その視点で業者を選んでいます。
業者に「複製」をさせる気はない。単なる「データ変換」でなければならないから、原本の破棄は必須[...]そんな感じで絞っていくと、けっきょく最大手であるBOOKSCAN
(BOOKSCANを利用してみた(1) - ただのにっき(2011-09-25))
業者は「自炊を代行します」というからにはそのようにサービスを作り、そして受注したら顧客に示したサービス内容をその通り遂行する。それはこの国ではまだ「高いモラル」ではなく「当たり前のモラル」の範疇ではないでしょうか。例えば、「メモが書き込まれて」いた本をBookscanに自炊代行させ、メモが消えていたらBookscanの過失になるはずです。「廃棄処分」されたはずの本を古書店で見つけても同様です。
それを疑い、疑いを口にするのであれば、例えば「Bookscanに依頼したスキャンではメモが消えていた」「写真に写っている王子板紙に問合せたら廃棄の事実はなかった」などの反例を沿えるべきではないでしょうか。読み返すと「私のモラルを基準にすれば、自炊代行業者も廃棄物処分業者も不適切なことを行うだろう」という論旨で、裏づけが見当たらないのです。
「言論のプラットフォーム」を掲げるアゴラに大学教授の署名で載せられた文章としては、事実の提示がなく、逆の事実を提示することができ、正直なところ誤解に基づく「書き飛ばし」の感を抱いてしまいます。議論や言論というものは、まず共通の事実の認識と理解があって、その上に意見を積み上げていくものだと思います。さまざまな意見があってよいと思いますが、ぜひ「私の想像」「私のイメージ」ではなく、事実を示しあって、事実に対するお互いの解釈を披瀝しあって、その上で議論をしてもらえればと思います。

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