3月28日(月)、東京で桜の開花宣言が出たようです。
気象庁は28日、東京でサクラ(ソメイヨシノ)が開花したと宣言した。開花した日は平年と同じだが、昨年より6日遅い。同庁の職員が28日午前、東京都千代田区の靖国神社にある標本木で、花が5、6輪以上開いているのを確認した。例年、開花宣言から1週間程度で満開になるという。-- 東京でソメイヨシノ開花宣言、平年なみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
月曜日に開花宣言で、1週間で満開ならば、この週末は結構な見頃ですね。るるぶ.comの「桜前線とれたて便」にも写真が上がり始めて、ちょっとそわそわしてきました。出やすいところでは、飛鳥山公園、新宿御苑、上野恩賜公園あたりかな。
ところでちょっと気になるのは、自粛の呼びかけが聞こえてくることです。そのなかでも、例えば次のような呼びかけはわかります。
井の頭恩賜公園に、「宴会自粛」を促す掲示が貼り出された。[...]「できるだけ園内または近隣の飲食店を利用してほしい」「節電の実施などで一部の施設が利用中止になる場合がある」「交通事情が不安定となっているため早めに帰りの準備をしていただきたい」という内容。 --吉祥寺経済新聞
交通事情は考える必要がありますね。節電で園内の明かりが普段より少ないとすれば、暗くなってからはいささか危ないかも知れません。ただ、次のような呼び掛けを聞いて盲目的に従ってしまうのは、ちょっと考えたほうがよいように思います。
「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。--時事ドットコム
これに諾々と従った人は、いつまで祝い事や祭りを自粛するのでしょう。いつから、あるいはどうなったら祝祭をよしとするのでしょう。そこに明確な線を設けているでしょうか?被災者への慮りが不要というのではなく、被災者への慮りという抽象的な言葉を「何となく」で済まさずどう具体的に考えるのか、「何となく遠慮」で済まさずどう具体的に思いを示すのか、それがその「線」の明確さに現れると思います。
例えば、近親者の死を悼むには「忌」や「喪」の期間があり、そして忌明けや喪が明ける時期があります。そこには本来の穢れなどの考え方の他に、実際には遺された者に俗世に煩わされず静かに死を悼み離別を悲しむ期間をあげること、一方である時期に俗世にもどるよう促すこと、世間も祝や祭の場に慎みを求めず受け入れることなどの現実的な働き、仕組みの側面があったのでは、と思います。
明治7年の太政官布告には、こうした忌日喪日が具体的に定められていたようですし、現在では宗教宗派ごとに違うと言われながら、一般的には49日を忌中、一周忌までを喪中とするような通念があります。こうした具体的な線引きは、遺族の心への慮りと暮らしへの慮りを両立し、支えるもののように思います。「何となく」自粛、「何となく」自粛終了には、そうした具体的な慮り、具体的な支援の意味がないように思います。
きちんと考えた慮りで自粛するのであれば良し。そうでなければ形ばかりいたずらに自粛するよりも、生活は生活として祝も祭も雅も容れながら、被災地への心配や励ましは声にして、できる支援には手を動かし汗をかきませんか?
「花見そのものを否定しているのではないことをご理解いただきたい」とも。 --吉祥寺経済新聞
上記は前述の井の頭恩賜公園について、自粛の貼り紙を掲示した公園管理者(東京都西部公園緑地事務所)の談。気が向いた方は、ぜひ桜を愛でに出かけましょう。そしてまた気が向いた方は、声援を送り、募金や寄付、様々なボランティアやマイクロボランティアなどに参加しましょう。それが、今の被災者の心への慮りと、今の被災者の暮らしへの慮り、そして被災者も含むみんなの今後の暮らしへの慮りを三方両立させるんじゃないかな、と私には思えます。

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